ピラティスのインストラクターになり立てのころ、先輩インストラクターの方から「クライアントさんからもらう」という話を何度か聞いたことがありました。
「もらう」と言っても物ではなく、要は感情や雰囲気のようなもののことを言っており、相手の世界に引き込まれて、こちらまで同じような気分に引っ張られてしまう(ネガティブな意味で)ということでした。
心身のことを勉強していくと、それは知らぬ間に相手に同調しているだけで、「自己と他者」の境界をあいまいにしているために「もらって」しまっていただけだと分かるようになりました。
さまざまなクライアントさんから「もらって」ばかりいてはインストラクターは心がついて来られなくなります。
夫婦間や恋人間でもきっとアルアルだと思います。
自分は何ともなかったのに、相手の機嫌が悪いとつられてこちらまでなんとなく気分が悪くなったりイライラしてきたり。
そうならないために、どんな時でもまず自分の「ニーズ」を満たすことが不可欠。
例えば、皿を洗っておいてほしかったのに洗ってくれていなかったら、ぷりぷり怒るのは私の問題であって相手の問題ではない。
皿を洗う手間が問題であって、それは私の工夫でどうにかできることもある。じゃあ食洗器買おうか、とか、皿の数が減るようワンプレートによそろうとか。
クライアントさんから相談事をして頂いていて、親身になって考えている間に予約時間を大幅にオーバーしてしまって、トイレに行ったりお茶を飲んで一息つきたかったのに次のレッスンが始まってしまった、とか。
でもそれは私がそうさせているだけなんですよね。
自分のキャパを超えてまでそうしてあげることが本当にみんなのためになっていることなのか。
必要なのは、私がトイレに行く時間をもらうために、時間を区切る覚悟をすることかもしれない。
相手がどう思うかよりも、まず自分がどうしたいのか。どうしてそう思うのか。そこを理解して対処できればいつもご機嫌でいられるのかもしれない。
自分で自分のご機嫌を取れる人のそばって居心地がいいですよね。
そういう人たちって、どうしたら自分が機嫌良くいられるか分かっていて、楽になれることをしているんだと思う。
インストラクターという職業は、人のことを思いやって、自分の知識だけじゃなく心や身体を差し出して向き合うことが多いと思います。1日に何本もレッスンをすると、身体だけじゃなく心も疲れることもある。
健全な心で長く続けていくためには、自分自身を満たし続けていくことが不可欠だと感じます。
満たすというのは、何かをプラスするだけじゃなく、何かをしないという選択することもひとつ。
相手と自分との間に線引きをしながらも寄り添うというのは多分テクニックも必要で、ただ相手の存在を認めるとか、共感すると言えば簡単ですが、それをどう伝えるかは、コミュニケーションの手段を学ぶことも大切かなと個人的には思います。
もちろん普段から自然とできる人もいるんでしょうが、私は情報として触れるまでできていませんでした。
そして情報を仕入れた今も、使いこなせているとは言い切れませんが…。
みんなストレス感じずにできることとできないことはバラバラだし、キャパも様々。
一人一人に違った価値観があることも理解していますが、目の前の人を大切にしたいからこそ、まず自分を満たす。
自分の感情を分解して本当のニーズに気が付けるから、相手の真のニーズにも気付けるようになる。
のかな。
とか。
言うのは簡単。
そんな感じで、自分のニーズに正直になっている間に、連絡不精な私は人からのメッセージを既読して終わってしまうことが多々ありますが、なんとかやらせて頂いています。
高校生くらいの頃は毎日でも友達と即時メッセージのやり取りを楽しんでいましたが、今はダメですね…なんか苦手なんです。
仕事のメールはなんとか返してますが、プライベートは遅延に次ぐ遅延の果てに返さずじまいということがよくあります…。
即レスをくれる友人たちを、すごいなぁと思ってはいるんですけどね。
関係者の方々、ごめんなさいね。