Yukikoのブログ

新潟市プライベート専門ピラティスStudio Fuu Yukikoのピラティスや日常のこと。プロフィール→http://yukiko-pilates.hatenablog.com/entry/2015/05/13/プロフィール

重力を指導に生かす

先日久々に指導者向けのワークショップを行いました。

 

テーマは「重力を指導に生かす」。

 

例に漏れずコロナ禍でオンラインレッスンを突然行うことになり、触れられない、近くで色んな角度から見られない、伝える手段が限られる、という状況の中、今まで対面レッスンで使ってきたスキルだけでは対応しきれないことも多くなり、何かないかなぁと思い学んだことのひとつが「重力」についてでした。

 

周囲のピラティスを指導者を見ていると、超初期にはエクササイズの形にこだわり、それから筋の働きにこだわり、さらに骨格や関節、と進んでいく方が多い印象です。

元々理学療法士でもなかった私も例に漏れずその一人。

 

細部に目がいくようになると今度は全体を捉えることが難しくなったり、内へ内へと意識が向きすぎてある意味視覚や聴覚などの感覚を遮断してまで感じようとしすぎたり。

 

知覚するということの大切さを改めて感じた中で行ったワークショップでした。

受講された方が全員ピラティスインストラクターだけだったので、内容はピラティスのエクササイズに偏っていますが、もしこのブログ読者の方で興味がある方は、資料と質の低い動画がありますのでご連絡頂ければお送りします。

(ご自身の勉強用のみの使用に限ります。)

 

 

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まず自分

ピラティスのインストラクターになり立てのころ、先輩インストラクターの方から「クライアントさんからもらう」という話を何度か聞いたことがありました。

「もらう」と言っても物ではなく、要は感情や雰囲気のようなもののことを言っており、相手の世界に引き込まれて、こちらまで同じような気分に引っ張られてしまう(ネガティブな意味で)ということでした。

 

心身のことを勉強していくと、それは知らぬ間に相手に同調しているだけで、「自己と他者」の境界をあいまいにしているために「もらって」しまっていただけだと分かるようになりました。

 

さまざまなクライアントさんから「もらって」ばかりいてはインストラクターは心がついて来られなくなります。

 

夫婦間や恋人間でもきっとアルアルだと思います。

自分は何ともなかったのに、相手の機嫌が悪いとつられてこちらまでなんとなく気分が悪くなったりイライラしてきたり。

 

 

そうならないために、どんな時でもまず自分の「ニーズ」を満たすことが不可欠。

 

例えば、皿を洗っておいてほしかったのに洗ってくれていなかったら、ぷりぷり怒るのは私の問題であって相手の問題ではない。

皿を洗う手間が問題であって、それは私の工夫でどうにかできることもある。じゃあ食洗器買おうか、とか、皿の数が減るようワンプレートによそろうとか。

 

クライアントさんから相談事をして頂いていて、親身になって考えている間に予約時間を大幅にオーバーしてしまって、トイレに行ったりお茶を飲んで一息つきたかったのに次のレッスンが始まってしまった、とか。

でもそれは私がそうさせているだけなんですよね。

自分のキャパを超えてまでそうしてあげることが本当にみんなのためになっていることなのか。

必要なのは、私がトイレに行く時間をもらうために、時間を区切る覚悟をすることかもしれない。

 

相手がどう思うかよりも、まず自分がどうしたいのか。どうしてそう思うのか。そこを理解して対処できればいつもご機嫌でいられるのかもしれない。

 

自分で自分のご機嫌を取れる人のそばって居心地がいいですよね。

そういう人たちって、どうしたら自分が機嫌良くいられるか分かっていて、楽になれることをしているんだと思う。

 

インストラクターという職業は、人のことを思いやって、自分の知識だけじゃなく心や身体を差し出して向き合うことが多いと思います。1日に何本もレッスンをすると、身体だけじゃなく心も疲れることもある。

健全な心で長く続けていくためには、自分自身を満たし続けていくことが不可欠だと感じます。

満たすというのは、何かをプラスするだけじゃなく、何かをしないという選択することもひとつ。

 

 

相手と自分との間に線引きをしながらも寄り添うというのは多分テクニックも必要で、ただ相手の存在を認めるとか、共感すると言えば簡単ですが、それをどう伝えるかは、コミュニケーションの手段を学ぶことも大切かなと個人的には思います。

もちろん普段から自然とできる人もいるんでしょうが、私は情報として触れるまでできていませんでした。

そして情報を仕入れた今も、使いこなせているとは言い切れませんが…。

 

みんなストレス感じずにできることとできないことはバラバラだし、キャパも様々。

一人一人に違った価値観があることも理解していますが、目の前の人を大切にしたいからこそ、まず自分を満たす。

 

自分の感情を分解して本当のニーズに気が付けるから、相手の真のニーズにも気付けるようになる。

 

のかな。

とか。

言うのは簡単。

 

 

嫌われる勇気

嫌われる勇気

 

 

 

 

 

 

そんな感じで、自分のニーズに正直になっている間に、連絡不精な私は人からのメッセージを既読して終わってしまうことが多々ありますが、なんとかやらせて頂いています。

 

高校生くらいの頃は毎日でも友達と即時メッセージのやり取りを楽しんでいましたが、今はダメですね…なんか苦手なんです。

仕事のメールはなんとか返してますが、プライベートは遅延に次ぐ遅延の果てに返さずじまいということがよくあります…。

即レスをくれる友人たちを、すごいなぁと思ってはいるんですけどね。

関係者の方々、ごめんなさいね。

 

 

デニムの似合うお尻?

クライアントさんに、雑誌でデニムの似合うお尻は洋梨のような形じゃなくてアヒルのような形で、反り腰のような姿勢の図が添えてあるものを見たんだけど…というお話を伺いました。

 

ちょうど前回の記事の背中を壁に当ててチェックするような方法が載っていたようで、その方は尾てい骨の向きがもっと後ろ向きにならないといけないのかなーーー?と疑問に思ったようでした。

 

そしてアヒルのお尻になるためには、横隔膜と足の間を通る大腰筋を鍛えなさいとかいてあったそうです。

 

それを聞いて、もうそれ書いてる人、みんなその方法で変わると本気で実感してるのかな??と思ってしまった午後でした。

その記事のとおりに実践して変わる人もいるかもしれませんが、腰を痛くして、前もも太くなって、股関節詰まらせる人も多数いると思います。

 

動きの専門家から言わせてもらうと、洋梨のようなお尻ってことは確かに骨盤の位置も股関節の位置も直した方がいいことが多いけど、それを直せば全員アヒルのようなお尻になるのかと言えば答えはNO。


お肉のつく高さやボリュームはすごくすごく骨格や脂肪組織のつき方による個人差があるので、いくら頑張ってもお尻の高さが外人さんのプリッケツのようには出ない人もいます。
股関節の形状や骨盤の形状はいくら頑張っても変えられないところも大きいので、同じエクササイズをしたからと言って全員が同じ結果を得られるとは限らないんです…残念ながら…。

 

献体の股関節周辺の写真を載せようかと思いましたがさすがにびっくりされると悪いので、図だけにしておきます。

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大腿骨が骨盤に刺さる角度や、大腿骨頭から大転子までの長さ、寛骨臼の形状……

骨だけで言っても全然人によって違います。

これ以外にも、靭帯などの軟部組織の強さ、長さ、張力…。

脂肪がどれくらい筋肉の中につきやすいか…。

本当に人それぞれです。

筋トレや自分の意思力だけでどうにかなる問題ばかりじゃないんですよね。

 


ただ、本人の持っている中で骨のアライメントや筋肉の使い方、重力のかかり方が変化すれば、外人さんのアヒルほどではなくても小さくてもプリッとハリのあるお尻にはなれると思います。

 

大腰筋はとっても大事な筋肉だというのは同意です。
鍛えるというのは縮めるとか、伸ばすとか、トーンを作るとか、鍛えるというより目覚めるということも含めて色んな筋収縮の種類があるのですが、どの種類の使い方が向いているかは人によりますし、どの種類の収縮もできた方がお尻はいいトーンが入るようになると思います(プリッとする)


大事なことは、お尻の筋肉は、骨盤や腰じゃなくて脚が作ってるということ。
股関節が骨盤を天井の方へ押し上げられていられていることがプリケツへの一歩です。
骨盤を股関節の上にズドーンと乗せていたままではいくら尾骨の向きを変えようが、お尻を飛び出させようと壁に押し付けようが、デニムが似合うお尻にはならないと思います。

 

 

そして、「デニムが似合うお尻」という価値観。

誰が似合うって判断するかなんでしょうが、自分が自分のお尻を判断すればいい話。

あの人みたいに…って思う気持ちは分かりますが、自分じゃない誰かと比べてそれに近づこうったって、そりゃどこまで求めてもどこまで行っても満足はできないだろうなって思います。

比べるなら過去の自分です。

自分がありのままで存在すること自体がとても尊い。どんな姿だろうとすでに完成されてる。

周囲の人がそれを認めてくれないならば、認めてくれる人と一緒にいた方が人生もお尻も幸せなんじゃないでしょうかね。

そこからのスタートであるといいなと、勝手ながら思った午後でした。